ブログを書きたくなくなったのはなぜか?

昨日今日、ブログを書く意欲が失せている

 

ブログを書くこと自体、自分にとってそんなに負担となっているわけではないはず

 

時間がないわけではない

 

ブログを書く時間は30分~1時間

 

どこでも書けるので移動時間に書いたり、他のやらなければいけないことの合間に書いたりしている

 

細切れの時間が有効に使えて気に入っているのだがどうしても書く気がしない

 

ネタが無いわけでもない

 

外食によく行くから美味しかったお店情報でも良いし、変な外人に絡まれた話しでも良いし、買ったカメラを次の日に落として壊した話しとかネタには困っていない

 

元々ブログを始めた動機が小遣い稼ぎだったから小遣い稼ぎになっていないのが原因かもしれないが、これも頭では分かっている

 

偉大な先人達も

 

「稼げるようになるまでとりあえず3か月かかるから、3か月は頑張って書いてね」

 

「とにかく書いてれば大丈夫だから!」

 

「ブログそんなに稼げなくてワロタおよびくっそワロタ」

 

等いろんなことを言ってくれているので稼ぐまでに時間がかかることは知っている

 

だからこれも原因では無い様な気がする

 

では何が原因なんじゃい!と考えてみると友達が出来ないのが原因かもしれない

 

なんていうかやっぱ年を重ねる(簡単に言うとおっさんになる)と友達が作りづらくなる

 

学校とか職場といった人がたくさんいる様な場所に自分が属していると友達も出来やすいと思う

 

ただ、年を取ると多くの人が家庭を持つ

 

当たり前だけど家庭を持つと家庭のことが最優先となり周りとの飲み会や遊びといった時間が極端に減る

 

というか無くなる

 

こうなってくるとどんな場にいようが友達を作る機会が無くなってくる

 

そんな時、友達が欲しいおっさんはブログを知った

 

ブログは友達が出来るぞー!ブログは新しい社交の場!はてな最高ー!と叫ぶ声がネットのあちらこちらから聞こえてきた

 

だからおっさんはブログで友達が出来るのではないか?と淡い期待を抱きながらブログを続けていたのだが、読者も増えないしもう投げやりって感じの状態なのだ

 

思えば僕には文才が全くない

 

自分の過去記事を読み返してみると

 

「くっそつまらんわ!この記事www」

 

「お前は何が言いたいの!?!?言いたいこと無いなら壁にでも書いとけや!」

 

「書いてる言語は日本語でOK!?」

 

となる

 

文才が無いのが原因かもな・・・

 

と、つらつらブログを書いていたら、やっぱりブログを書くのって難しいな!という結論に達したのですが友達が欲しいおっさんは淡い期待を断ち切れる程自分を諦めきれないので、やる気がないながらも頑張りたいと思ったおっさんであった

 

(今回の文も何が言いたいのかわからないのであった・・・)

 

おしまい

 

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僕が小・中・高の同級生と会っても絶対に話さない理由

僕は小・中・高の同級生と街でばったり会っても絶対に話さない

 

心に決めている

 

別に小・中・高校生時に嫌な思いをしたわけではない

 

むしろ楽しい思い出しかなかった

 

どちらかと言えばクラスでも中心にいたと思うし学年の人全員僕の事をしっていたと思う

 

もし小・中・高の同級生と昔話をすればとても楽しいだろうことは容易に想像が付く

 

実際声を掛けられることも多々あるが、僕は絶対に自分だと認めない

 

どうしてこんな頑なに同級生と話さないと決めているかというといくつか理由がある

 

1つ目は傷の舐め合いになりそうだからだ

 

たまに飲食店で開かれる同窓会に遭遇することがあるが、話題の大半は「今の自分がどうしてこんなに不幸なのか?」ということだ

 

「旦那の稼ぎが少ない」「上司が使えない」「浮気されている」

 

この世にはどうしてこんなに不幸が存在するの?と思えるほどだ

 

幸福に理由は少ないが、不幸には不幸の数だけの理由がある

 

そんな気がする

 

なまじ同級生のことが好きだったから、好きな人が今こんなに不幸になっているのか・・・と思うとこっちも辛くなる

 

僕だったら幸せに出来るのに・・・と思わなくもない

 

そしてそこで交わされる会話も

 

「わかるー!うちの旦那も稼ぎが少なくってさ、家計が火の車よ~」

 

とか

 

「うちのハゲ上司も使えないんだよね~ホント、性格悪くて心までハゲてんじゃないよって感じ」

 

とか

 

「浮気されるよね~、うちなんて妊娠中に浮気されちゃってさ・・・」

 

とか

 

もう傷の舐め合いが半端ない

 

傷を舐め合って癒される気持ちが僕には理解出来ない

 

不幸があるのであれば、PDCAを回し続けることでしか幸せにはなれないのではないか?

 

傷の舐め合いはまさに逆PDCAサイクルだ不幸が不幸を呼び、大きな不幸となって皆を包み込む

 

傷の舐め合いをする場に出る意味など全くないと思っている

 

2つ目は同級生も変わっているからだ

 

これは言われれば当たり前のことなのだが自分の理想「学生時代のままの友人」はそこにはいない

 

あの楽しかった頃の、楽しい事だけをしていれば良かった頃の友人はそこには存在しない

 

友人含めこの僕も、厳しい社会で揉まれ、嫌なことを我慢し、現実と折り合いを付け生きてきている

 

そんな環境で年を取ってきた僕たちはもう純真無垢なあの頃の僕達ではないのだ

 

同級生と会うとなるとどこかで理想の友人、あの頃の友人がそこにいてくれそうな気がする

 

それを期待して同級生と会うはずだ

 

思い出の中にいる楽しかった頃の友人まで現実に変えてしまう必要はないと思っている

 

同窓会とかって本当に嫌だし先輩後輩関係も全て良い思い出として残しておこうと思う僕は変なんだろう

 

おしまい

 

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柔道部の練習で生徒が亡くなったことについて

※下記内容は遺族の方を責める内容ではありません。似た様な事故を無くす為にこうした方が良いんじゃないかという提案です

 

夜のニュースで柔道部の練習中に亡くなった中学生のことを伝えていた

掻い摘んで説明すると

「喘息持ちの柔道初心者が強豪柔道部に入部した結果厳しい練習中に亡くなってしまった」

ことが問題視されていた

テレビ側が言いたかったのは「初心者にキツイ練習をさせた結果死なせてしまった。可哀想」ということなのだろうが気になる点がいくつかあった

 

まず、強豪校の練習に初心者が入るという点だ

僕は中学の時、田舎では強豪の部活に初心者で入った

県大会以上の大会まで勝ち進む事があり、部活の時間は朝の6時から、夜は9時までというキツさだった

勿論先生からは理不尽に殴られるし、部活の休みは実際1月1日と8月15日の2日だけだった

こうして文字にし、自分に子供がいたら入部を勧めるかと言われると全く勧める気はない

が、僕自身やらない方が良かったかと言われると不思議とやらなければ良かったとは思わない(無駄にした時間の長さにそう思いたいだけなのかもしれないが)

それは自分で初めて大きな選択をした事が嬉しかったからかもしれないし、実際大きな大会まで出られたのは過酷な練習に耐えられたから、あの過酷な練習を耐えたお陰で少々のキツイ事には動じなくなったからかもしれない

番組を見た印象ではお母さんが顧問に相談した結果、顧問からその子に合わせた指導をするから大丈夫と言われ安心して入部させたそうだが、強豪校にいた感覚からするとこの発言は保護者を前にした体の良い発言としか捉えられないし、保護者はそこら辺を斟酌しなければならないだろう

当然の事だが小学校を卒業したばかりの子供が部活に入りたいと言ってきたのに、はっきり入部しない方が良いと言う部活の先生は普通いないだろう(公共の場である学校であるし、断った事で起こる後々の問題を考え断らないだろう)

その子に合わせた指導をすると言うのが精一杯の対応だ

この先厳しい練習が待っているとは考えられなかったのだろうか?

強豪校の練習を緩くしてくれるなんて信じられるだろうか?

体が弱い子がちょっと体を動かす為に入る部活ではないとは思わなかったのだろうか?

お母さんを責めているわけでは勿論無い

ただ、強豪校の部活に入って練習を初心者向けに合わせて貰えると本気で思っていたのであれば

「強豪校の練習はキツイから初心者あるいは体が弱い子は入るのはやめた方が良い」

と啓発して欲しい

同じ様な考えの保護者の方は他にもいらっしゃるだろうから

もし亡くなった子が強豪校の部活に入ったのであれば、心ある指導者なら

「それだけの覚悟をして入部してくれたんだから、最初は出来なくても将来的には周りの子と同じレベルまで上がれる様に指導してあげよう」

と思い、指導には周りの子以上に熱が入るはずだ

もしそう言った環境を望まなかったのであれば、やはり強豪校の部活は場違いだと思う

例えばプロサッカークラブのユースチームに初心者が入って緩い練習をすることは普通考えられないし、高校野球やその他の部活でも状況は同じだ

ユースチームの様にセレクションがあれば今回の様な事故は防げたかもしれないが部活という公共性がこれを妨げている

大学の体育会とサークルの違いと言えば分かりやすいかもしれない

強豪校の部活は大学の看板を背負って上を目指す体育会、弱小校の部活はサークルに近い

もしどうしても柔道がしたかったのであれば、弱小柔道クラブを部活とは別に探すのがベストだったろう

亡くなった時、乱取りをずっと続けていたとの事だが乱取りは基本練習と言っても良いだろう

受け身さえ取れればそれほど難しい練習ではないからだ(勿論受け身が全く取れないのに乱取りをさせていたのであれば問題だが、これも程度の見極めが難しい)

体調が悪い中乱取りをやらせていたじゃないかという意見もあるだろうが、強くなる為の部活に入り本人が続ける事を望んでいたのであれば、自分が指導者だったら練習を止められたかと言われると自信は無い

自分を追い込み限界にチャレンジしてフラフラになる事と命に関わるほど体調が悪くなってフラフラしている事の見極めもまた難しいからだ

上手くなる為には、上手くなりたければどうしても自分の限界を超えなければならない

僕自身フラフラになったり、意識が飛ぶ事も何度かあった

裁判所が村に命じた賠償が3700万円程と比較的低額だったのも過失の認定が難しかった事の表れではないだろうか?

部活の目指す方向性と保護者や生徒の目指す方向性のミスマッチを無くす様にしていって欲しい

 

2つ目は遺族の講演活動だ

無論、部活中に亡くなった子の母親の気持ちを教員の卵に語ることは立派なことで必要だろうし、語られた方にとっては強い戒めとなるだろう

将来部活を指導する時には様々なリスクを抱えて指導しなければならないことも実感出来るだろう

しかし僕はお母さんが述べていた様に同じ様な事件を2度と起こさない様にすることを願うのであれば、講演活動に部活や武道の必修化を廃止するといった内容を盛り込んで欲しい

(テレビで取り上げなかっただけで既にやられているのかもしれないが)

根本的に武道に事故はつきものだ

現に学校で武道が必修化されてからというもの、事故の件数が増えているのは番組でも取り上げていた

武道による事故を無くすにはやはり武道の禁止しか考えられないし、武道の必修化などあり得ない

まして授業での必修化ともなれば部活とは違い自分の意思とは関係なくやらされてしまうのだから

やはり部活というシステムがあって良かったと思う僕でさえ、そろそろ新しいシステムを作るべきだと思う

 

亡くなった子と同じ様な事故を今後二度と起こさない為にも、部活動と生徒のミスマッチの解消、部活動の廃止も視野に入れた検討をして欲しい

 

おしまい

ありがとう小池美由さようなら小池美由

小池美由って何者?!

皆さんは小池美由というアイドル?をご存知だろうか?

 

誰も名前を知らない小さな芸能事務所カザミアエンターテイメントに所属している低身長アイドルだ

 

デビュー当時はそれほど露出があるわけでは無かったのだが、事務所がワタナベエンターテインメントと業務提携したからだろうか?

 

最近ではニコ生やテレビに徐々に出てきている

 

僕が小池美由を知ったのは友人から面白いやつがいると紹介されて見たyoutubeだった

 

衝撃を受けた

 

一見するとさとう珠緒二世と呼べるほどのぶりっ子キャラと当時売り出し中だったローラのため口キャラを混ぜた様な三流キャラ

 

その三流っぷりが見れば見る程視聴者の嫌悪感を掻き立てる、そこがまた癖になるキャラで押していこうとしているように見えた

 

全然面白くねぇじゃん

 

そう思いながらぼんやり動画を眺めていたのだが、いつの間にか次から次へと動画を見ていた

 

ゴッドタン「仲直りフレンドパーク」「ギリ笑える不幸座談会」「小池美由にトモダチを作ってあげよう」全て見た

 

繰り返し動画を見るうちに気付いてきた

 

挨拶の仕方がヤバかったのだ

 

普通挨拶というのは相手との共同作業だ

 

自分が挨拶し、それに応えて相手も挨拶をする

 

共同作業を一緒にすることで知らない人との距離が縮まるし、自分の行動に相手が確実に反応してくれるからこそ、挨拶は知らない人とする最初のアクションとなる

 

これほど安心できるアクションも無いと思うのだが、小池美由の挨拶は一味違う

 

「こんにちは!」と自分で言った後に観客の分の「こんにちは!」を待つまでもなく自分で言ってしまう

 

「こんにちは!(相手にマイクを向けて)こんにちは!小池美由です!」なのだ

 

1つ目の「こんにちは!」は自分から、2つ目の「こんにちは!」は相手からの挨拶だ

 

相手からの挨拶を自分でしたかと思えば自分の名前を名乗る

 

こんなハチャメチャな挨拶は見たことが無い

 

で、なんでこんなあいさつをしているんだろう?と思って動画を見ているとその答えを話しているものがあった

 

「ファンの人が全くいない時、挨拶を返してくれないのが寂しかったから」

 

そんな感じだった

 

こんなに切ない話があるだろうか

 

相手から確実に帰ってくるはずの挨拶が返ってこないから自分でする

 

この寂しさと、寂しさを認めてそれでも前に進む強さ

 

そこが小池美由の魅力だ

 

最近では世間にすっかり認知されたのだろう

 

相手がするはずの分の挨拶はしなくなった

 

代わりに観客からの拍手が彼女を迎える

 

あの時のステージで一人寂しく戦っていた小池はもうそこにはいない

 

ありがとう小池美由、さようならあの日の小池美由

 

普段アイドルなんて全く見ない僕が「アイドルって良いな」と初めて思った瞬間だった

 

おしまい

 

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