僕が小・中・高の同級生と会っても絶対に話さない理由

僕は小・中・高の同級生と街でばったり会っても絶対に話さない

 

心に決めている

 

別に小・中・高校生時に嫌な思いをしたわけではない

 

むしろ楽しい思い出しかなかった

 

どちらかと言えばクラスでも中心にいたと思うし学年の人全員僕の事をしっていたと思う

 

もし小・中・高の同級生と昔話をすればとても楽しいだろうことは容易に想像が付く

 

実際声を掛けられることも多々あるが、僕は絶対に自分だと認めない

 

どうしてこんな頑なに同級生と話さないと決めているかというといくつか理由がある

 

1つ目は傷の舐め合いになりそうだからだ

 

たまに飲食店で開かれる同窓会に遭遇することがあるが、話題の大半は「今の自分がどうしてこんなに不幸なのか?」ということだ

 

「旦那の稼ぎが少ない」「上司が使えない」「浮気されている」

 

この世にはどうしてこんなに不幸が存在するの?と思えるほどだ

 

幸福に理由は少ないが、不幸には不幸の数だけの理由がある

 

そんな気がする

 

なまじ同級生のことが好きだったから、好きな人が今こんなに不幸になっているのか・・・と思うとこっちも辛くなる

 

僕だったら幸せに出来るのに・・・と思わなくもない

 

そしてそこで交わされる会話も

 

「わかるー!うちの旦那も稼ぎが少なくってさ、家計が火の車よ~」

 

とか

 

「うちのハゲ上司も使えないんだよね~ホント、性格悪くて心までハゲてんじゃないよって感じ」

 

とか

 

「浮気されるよね~、うちなんて妊娠中に浮気されちゃってさ・・・」

 

とか

 

もう傷の舐め合いが半端ない

 

傷を舐め合って癒される気持ちが僕には理解出来ない

 

不幸があるのであれば、PDCAを回し続けることでしか幸せにはなれないのではないか?

 

傷の舐め合いはまさに逆PDCAサイクルだ不幸が不幸を呼び、大きな不幸となって皆を包み込む

 

傷の舐め合いをする場に出る意味など全くないと思っている

 

2つ目は同級生も変わっているからだ

 

これは言われれば当たり前のことなのだが自分の理想「学生時代のままの友人」はそこにはいない

 

あの楽しかった頃の、楽しい事だけをしていれば良かった頃の友人はそこには存在しない

 

友人含めこの僕も、厳しい社会で揉まれ、嫌なことを我慢し、現実と折り合いを付け生きてきている

 

そんな環境で年を取ってきた僕たちはもう純真無垢なあの頃の僕達ではないのだ

 

同級生と会うとなるとどこかで理想の友人、あの頃の友人がそこにいてくれそうな気がする

 

それを期待して同級生と会うはずだ

 

思い出の中にいる楽しかった頃の友人まで現実に変えてしまう必要はないと思っている

 

同窓会とかって本当に嫌だし先輩後輩関係も全て良い思い出として残しておこうと思う僕は変なんだろう

 

おしまい